メイン画像

裏舞台で活躍していた忍者について知ろう

戦国時代を中心に闇の中で活動していた忍者。通常の武士とは違い、表立って活躍することはなく、戦国武将のもと裏で密かに情報収集・工作・奇襲などの活動をしていく戦闘におけるエリート集団だった。当時は“忍者”という言葉で統一されておらず、透波、突波、草、目付けなどと各地で呼び名が違い、役割によってもさまざまに細分化されているのが大きな特徴だった。

その中でも、武田信玄に仕えていた「三ツ者」、上杉謙信に仕えていた「軒猿」などの他に、伊達政宗に仕えていた「黒脛巾組」、前田利家に仕えていた「偸組」などは、特殊な任務をこなすエリート集団だったとされている。

また、忍者は今でもマンガやアニメ、小説の題材にされている。日本だけでなくアメリカなど海外でも人気を博している。

このサイトでは、忍者の誕生から衰退していくまでの流れや、どんな忍術を使って任務を遂行していたのか?そして、忍者たちが独自の工夫で作り上げた忍具など、忍者について基本的な事を紹介していく。

また、伝説として残されている忍者たちのことについても少しだが触れていこうと思う。

有名な忍者をご紹介

そもそも忍者は実在していたのか?と疑問に思う人も多いかと思いますが、実際には存在していたようです。ただし、「忍者」という言葉ではなく、別の呼び名で呼ばれていたそうです。

実在されていると言われている忍者の中で、どういった人物が有名なのか、ピックアップしてご紹介してみたいと思います。

まず1人目が、風魔小太郎です。風魔小太郎とは、一人のことを指すのではなく、風魔という一党の代々の首領のことを指します。風魔一党は、後北条氏に仕えており、「黄瀬川の戦い」では、風魔の一党が夜に攪乱を行い、手柄を立てたと言われています。

2人目に紹介するのが、真田昌幸です。真田昌幸は「川中島の戦い」で武田信玄の警護を15歳でしていたそう。真田昌幸は、「三増峠の戦い」で戦功をあげるなど、実力のある忍者でした。

最後に紹介する忍者が、服部半蔵です。服部半蔵は映画やアニメなどにも多く出ているかと思いますので、名前を聞いたことがあるという人は多いのではないでしょうか。服部半蔵が活躍した戦で有名なものが、「姉川の戦い」や、「三方ヶ原の戦い」などです。

また、服部半蔵という名前は、風魔小太郎と同じく、一人のことを指す名称ではありません。服部家では代々服部半蔵と名乗っているため、本名は別にあります。

ちなみに服部半蔵と言えば忍者というイメージが強いですが、忍者であったのは初代のみ。2代目からは武士の身分になっています。